教わったことを、次に繋げる
山のサークルの総会に出席した。
いろいろな内容があったけれど、最も記憶に残っているのはベテランの先輩陣のことば。
「ネットが充実した今、それで十分繋がっていけると思う一方で、ひとと直接会い、ひとに直に伝える、それが大事だと感じています」
「訓練や講習を決して軽んじるんじゃない。もう訓練を受けなくていいという人は、じゃあ、自分が講師をやれるのか?」
「先輩から教わったことを受け継ぎ、下に伝えてこその山岳会だ。そうでなければ同好会だ」
モヤモヤしていた気持ちが吹き飛ぶようなメッセージだった。
営利目的でないボランティアの集団で、こんな風に臆さず発言するメンバーがいてくれることに改めて感謝。そして、自分がもらってきた沢山のことを、次の世代に返したいという強い気持ちが蘇ってきた。
目指していることは間違っていない、と後押しをもらった一夜だった。
凍てつく小雨の中、岩場訓練
週末の土日は久しぶりの岩場訓練。土曜日も寒かったが、日曜日は小雨の中を決行。訓練場所は奥武蔵だが、殆ど冬山装備を着込み、ホッカイロを貼り付けて臨んだ。
演習内容はビレー、事故脱出、懸垂下降。
今回はじめて懸垂下降を担当することになり、初心者のひとに覚えて欲しい基本ポイントを3つに絞って何度もその点を繰り返した(つもり)。
1.ダブルロープ・ATC使用時のうっかりミス撲滅
2.下降器の下にオートブロックをセットする
3.オートブロック(マッシャー)の操作方法
雨の中は岩が滑るし、ロープは伸びる。オートブロックに使用するスリングはだんだん締まりがきつくなってくる。
そんなこともまずは経験して自分の知識にして欲しい、という総合リーダーの判断での雨中訓練。担当として事故があってはならないので、セッティングから指導、回収まで終了し、無事に終わってほっとした。
リーダー役が続いて緊張することの多かった2月・3月だが、これで一区切り。春山・夏山に向けて気持ちを切り替えるぞー
泥まみれになったロープをていねいに洗う。きみたちもお疲れさま。
きれいになったロープを乾かしながら、ちょっと充足感。
4度目の唐松岳は強風、途中撤退
3月の3連休を利用して北アルプス、唐松岳へ。
今年で4度目になるが、山頂からの圧巻の景色は筆舌に尽くしがたく、毎年でも登りたい山のひとつだ。
(昨年、2016年3月の唐松岳)
初日は八方スキー場のゴンドラ、リフトを乗り継いで、八方池山荘へ。食事がおいしく、お風呂もある、山”旅館”と呼びたい宿で、快適そのもの。この日は曇が重く、晴れ間が見られなかったが、ヤマテン予報に拠れば翌日午前中は青空が見られるはず。
しかし、夜半から暴風となる。
風が吹き荒れ、時々建物にどんっ、という衝撃がくる。風の音に何度も目が覚める。
アタック当日は6時に出発予定だったが、風が横に吹きすさび、雪を巻き上げる状況。しばらく様子を見ようと、30分おきに外に出て風を確かめるが、あっと言う間に体が冷えてしまった。
悩んだ挙句、8時少し前に出発。空が明るくなってきたので多少気持ちが楽になるが、それでも耐風姿勢の連続、景観は望めずと、苦行・・
体調不良者がでたこともあり、丸山ケルンで撤退を決める。
他パーティはそのまま登って行くひとたちもいるが、自分達は引き返した。特に危険な場所があるわけではないが、強風滑落の可能性はあるし、何よりこんな視界の中を登っても楽しくもなんともない。
しかしまあ、こうやって途中撤退すると、その後の疲労感(徒労感?)もまた半端ないものがある。しかも、翌日の祝日、ヤマテン予報をまたも覆して晴天、微風だったというのだから、もうがっかり、である。。
それなら山荘に2連泊すれば良かったな・・、と思っても後の祭りだ。
うーん、今シーズンはお天気イマイチの連続だ。
晴れ男・晴れ女のメンバーのみなさん! 次回はぜひ! お願いしますよ~(ほんと・・)
3年3度目の赤岳、八ヶ岳連峰は快晴!
蔵王 樹氷トレッキング 東北の避難小屋に初泊り
仙台駅から蔵王ライザワールド スキー場へ。
リフトを2つ乗り継ぐ間にも、樹に着いた雪の状態がどんどん変わってくるのが分かる。
リフト降り場から、スキーヤーがボーダーが樹氷フィールドへ飛び出していく。気持ち良さそうだ!
自分達は、スキー、ワカン、スノーシューの混合グループ。ここから20分ほどの避難小屋が今夜の宿。
(かわいい避難小屋。初めて窓から入る経験をする)
東北の避難小屋は積極的に泊まることを前提としているそうで、避難装備やストーブも完備されている。とは言え、燃料が無かったらアウトなので、リーダーが4Lの石油を背負ってきてくれた。
おかげで暖かい一晩で、冬用シュラフでは暑いくらい。(おまけとして、帰京してからもしばらくザックが石油臭かった。。)
翌日はずっとホワイトアウト。数メートル間隔に立っているはずの目印のポールすら見つけるのが困難になり、素直に引き返す。
次回は快晴の空の下、あのモンスターに再会したいな。
リベンジリスト更新中。
『はじめてのヒマラヤ登山』 ~オンナ5人がヒマラヤ・デビュー! 楽しくも過酷な体験記~
楽しく再読した1冊、『はじめてのヒマラヤ登山』(”目指せ、ネパール”登山チーム著、2013年、誠文堂新光社刊)をご紹介。
登山ガイド、画廊職員、主婦、看護師、フリーライター、登山ガイド、というそれぞれ違った背景を持つ女性5人が、期間限定でチームを組む。登山経験も体力もバラバラのメンバーが、仕事の合間にトレーニングに励み、5,520mのヤラ・ピークを登頂するまでの顛末記だ。
日本での高度トレーニングや旅行の準備、ネパールに入ってからの食事や習慣の違い、テント生活、高度順応への苦労など、どの切り口から読んでも、へぇ、と思わせられる。写真やイラストがふんだんに入っていて、ネパールの山の美しさや、単純に旅行記としても面白く読める1冊。
実は2年前にネパールを3週間ほど旅した際、大いに参考にさせてもらった本だ。
2年前、リストラにより退職。『これからどうしよう』と途方にくれていた自分は、ネパール旅行を思いつく。当時はサラリーマン生活に戻る想定しか持たなかったため、再就職に憂鬱な毎日だった。その一方で、こんなに時間が自由になることはもう無いかもしれない、という気持ちが強くなる。
ツアーを申し込んだが、失業保険の受け取りのためハローワークに通わなくてはならず日程が合わない。一緒に行けるような暇な友人もおらず、最終的にはネットで旅行会社を探し、現地ガイドを頼んでひとり旅することとなった。
初めてのひとり海外旅行、初めてのネパール。
エベレスト街道を歩く12日間のトレッキングを組み込み、最高点は5,545mのカラパタール。富士山より高い山に登るのもこれが初めてだ。今振り返ると、けっこう思い切ったなぁと思うが、この経験がきっかけで自分はセミリタイヤに踏み切ることになった。いわば人生を変えた旅だ。
本を読み、写真を見るにつれ、どんどん記憶が蘇ってくる。また行きたいなぁ。
ヒマラヤに行ってみたい人、おススメです!
(4月のネパールはラリーグラス(=芍薬)が息をのむ美しさ)
【参考】カトマンズにある日本人経営の旅行会社。
日本語のできるガイドさんもいてたいへんお世話になりました。
http://www.himalayanactivities.com/
2年越しのチャレンジも撤退(涙) でも、自分が諦めるまでは ”負け” じゃない
週末は谷川岳山系に雪洞堀りに。
テントではなく、積雪地に横穴を掘って泊まるという企画。昨年、雪が少なく途中撤退しているだけに、参加のみんなも今年こそはという気持ちだ。快晴微風、雪も申し分なさそう、と気分もあがる。
が、掘り進めるうちに木の枝や根がどんどん出てくる。はじめはスノーソーで切り払っていたが、太い枝が出てくるとどうしようもない。掘る方角を変えて残る方法を考えたが、とうとうタイムリミット。日没前に撤退を決めた。
同行の別パーティーは、問題なく掘り進むことができ、雪洞の完成間近だ。
彼らは残り、我々は食材を背負ったまま薄暮の中を下山する。
疲れて寒く、すべてが徒労のように思えてくる。
無念だ・・。
帰りの車中、音楽好きなリーダーが新旧和洋ミックスの楽曲を流してくれる。
ハスキーなロッド・スチュワートのセイリング(Sailing)にささくれていた心が慰められる。
www.youtube.com
自分が諦めない限り、挑戦の続きであり、負けではない。そんな言葉が浮かんで来る。
音楽の力ってすごいね。
歌はフランス語に代わり、?、と思っていたら途中から聞き覚えのある旋律に。歌手はクロード・フランソワで、フランク・シナトラのマイウェイ(My way)の原曲になった歌だそうだ。
フランス語は分からないけれど、魂を揺さぶる彼の声に聴き入る。
生きるということへの純粋な喜びと情熱が溢れてくるようだった。
帰宅してyoutubeを検索。
Comme d'habitude(<仏>いつのように、いつもどおりに)(May wayの歌詞とは全く別ものらしい)
60年代フランス音楽界のスーパースターであり、若くして悲劇的な死を遂げたということも初めて知った。映画「最後のマイ・ウェイ」、ちょっと観てみたくなった。
www.youtube.com
そして、雪洞掘り、Never give up!
来年も懲りずに挑戦する!