弱者でなく、敗者であれ
(キタキツネの兄弟 2015年 羅臼にて)
弱者は試合すら放棄している悲しい存在ですが、敗者はとてもすてきだと僕は思っています。負けたとは、チャレンジをし、勝負をした証なのですから。(中略)
勝者になる可能性があるのが、敗者なのです。永遠に試合に出ない弱者には未来がありませんが、敗者には無限の可能性があります。
松浦弥太郎さんの文章が好きで、よく読んでいる。
端正な言葉の間からのぞく、著者の闘志心にときどきドキッとさせられるが、この『何があっても「弱者」にならない』もそんな一章。まえがきには、50歳で引退を計画していた著者が、期限が近づくにつれて持った「なにを人生のゴールとし、人生のピークをどこにもっていけばいいのだろう」という疑問と、自身で定めた「人生のピークは70歳」という答え、そのための考え方が触れられている。
体力と年齢という貯金のある20代、30代を経て、ふと気づくと人生の折り返しを過ぎたことに気付く40代、そしてそれ以降。
これからどのように生きていくか、は誰もがときどき考え込んでしまうテーマだろう。
自分自身は内心、このままフェイドアウトして世捨て人のように暮らしたいなぁ、とのんきに夢見ているが、一方でこの著者のように、自立できるうちは人に与える存在であれ、という姿勢にも共感を覚えざるを得ない。
少なくとも、今の自分には「弱者でなく、敗者であれ。チャレンジしろ!」と発破をかける。(もちろん、勝者だったら言うことないけれど)
梅雨のせいか、腰も股関節痛も今ひとつ。しかし、ヨーロッパ遠征に向けて資料をまとめだした。体調がどうであれ、逃げ出さずにチャレンジはする。そのためにも「知る」ことは大事。モンブラン登頂の過去ログなどを読み漁っている。
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