〈続〉 認知症と向き合う
毎週のようにお山に行ったり、年甲斐もなく?、あちこち旅行に飛び回ったりしている自分だが、ここ数年、いつも気持ちの根底にあるのが親の老いについてだ。
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母の言動に違和感を覚えたのはいつ頃からだったろうか。
はじめは『ずいぶん忘れっぽくなったなぁ』という程度の認識だった。自分と他の家族との名前の呼び間違え、自分と母の兄弟姉妹との名前の言い間違え。伝えた内容を忘れていること。同じ話を繰り返すこと。
何だか変だなと思い、”物忘れ外来”に行ってみない?と聞いたら、『わたしがボケているとでも思うのか!』とたいへんな権幕、大反発に遭い、すごすごと引き下がった。
しかし、この話を何気なく年上の友人にしたところ、公的な支援センターのプロに相談するべきだと真顔で諭される。同じく後期高齢者の母親を看護している友人だった。
その後紆余曲折があり、腹を括って地域包括センターに電話をしたのが今年の正月。
母が膝痛でかかっていた整形外科病院から、地域包括センター・病院間の連携を得て、認知症の病院を紹介してもらえることになった。MRIで脳の萎縮が見られ、本人に告知の上、認知症対策を進めている(本人は短期記憶が乏しいため、理解しているようで分かっていない様子だが・・)。
適応を見ながら投薬を強めていく段階だが、「頭が痛い」、「疲れる」、「食事がおいしくない」など、患者が適応できずに苦しんでいるのを側で見るのもつらい作業だ。
若かりし頃の母は潔癖で、朝から晩までくるくる働くのを信条としていた。その母が、顔色を悪くし、頭が痛い、と寝込む姿は胸に刺さる。
そして、苦しんでいる親を見守りながら、いつか来る別れのことを考えている自分がいる。
みんなで手を繋いでこの日々を乗り越えたい。
後悔のないように。そして、家族の一部に過大な皺寄せが来ないように。いつまで続くか誰も分からない道行だけれど。