家族は認知症を恐れすぎ? 朝日新聞デジタルの寄稿(久坂部羊さん)を読んで
老母の認知症治療をスタートし、約一年が経った。
母が”認知症”という言葉にたいへんな拒否感が示すため、そうとは知らせず通院を始めた(それがまず、たいへんだった・・。)
脳のMRIを撮り、投薬をスタート。順調に薬のレベルを上げたが、副作用が出て断念する。一ヵ月後、2種目の投薬をスタート。しかし、前回と同じく薬のレベルを上げると頭痛、疲労感が出て、体重が減少する。やむなく中止。改良策の見えない状況に、周囲の者は気持ちが疲労する。
ただそんな時、自然に思い至ったのは、齢をとれば若い時と同じようには行かない。それでいいんじゃない。という気持ち。
『認知症は発想を転換すれば怖くない』という、高齢者医療に携わってきた作家で医師の久坂部羊さんの記事を読む。(2016年12月7日付 朝日デジタルより)
高齢者を傷つけるNG
家族が無意識に、あるいは気をまわして取る行動や言動で、家族と高齢者の心の溝が広がり、事態を悪化させることも。
日付を聞いたり、前の晩のおかずを聞いたりするのはご法度だ。なぜなら、それは明らかに相手を馬鹿にした質問だからだ(ふつうの人にそんなことは聞かない)。認知症の人も、人格がすべて失われるわけではないので、そういう扱いをされていることは敏感に察知する。(中略)
認知症は早期発見が大事とばかり、無理やり病院に連れて行こうとするのもよくない。病気とは思っていないのに、病人扱いされるの不愉快だし、認知症を疑われるとダメ人間扱いされているのが明らかで、当人のプライドはズタズタになる。
相手を尊重する。接し方の第一原則
上手に介護している家族に共通しているのは、認知症の有無に関わらず、高齢者に対する尊重と、感謝の気持ちが強いことだ。(中略)
そのような接し方をすれば、高齢者も快適だから、脳はよけいなストレスに悩まされずにすむ。自ずと介護者への感謝も湧くだろうから、たとえ認知症であっても、その状況を失うような行動には本能的に抑制がかかるはずだ。結果、介護者にとっての問題行動も減ることになる。
老いれば当然、衰える。発想を転換すれば認知症は怖くない
もうひとつ、認知症の問題を困難にしている背景として、世間の人が認知症をどうしようもない業病のように恐れていることが考えられる。認知症になれば人格が崩壊するとか、自分の存在が崩れてしまうとか、過度に否定的なイメージが流布されすぎている。だから、多くの人が拒否感情に振りまわされて、事態を悪化させてしまう。(中略)
認知症は自然の恵みという見方もあり、むしろ老いてなお明晰なほうが、悲惨な現実がわかりすぎてつらいとも言える。いつまでも元気で活き活きとなどと考えていると、認知症は恐ろしいかもしれないが、老いればたいてい弱って衰えるのだから、認知症になってその現実を忘れるのも悪くはない。
うまく発想の転換ができれば、認知症は決して怖くないはずである。
読みながら、現場を見てきたひとならではの言葉に、涙が止まらなかった。
こんな風に俯瞰してアドバイスをもらえたら、高齢者を支える家族はきっと楽になる。
苦しんでいるすべてのひとに伝えたい記事。